総長あいさつ

ご挨拶 I

                           小立野大学総長 伊木浦 悌治

 ここにおいでのみなさん、いつも見かける研究生諸君もいれば、 はじめてここに立ち寄られるあなたもいらっしゃいますね。 私は総長の伊木浦と申します。この近くに住んでおりますので、 大学裏のおじさんと、呼ぶ方もいらっしゃいます。

  今日はここ、イバラードを見おろす高台、コダツノ台地に 長い歴史を刻んでおります、この小立野大学について、 その知られざる姿の一端を、私からご紹介いたしましょう。

 この学校の校地は、イバラードの常で、どこからどことは はっきり区切られてはおりません。つづいていると言えば、 ずーっとどこまでもつづいているわけです。けれど、ひとつ まちがいなく言えるのは、この学校の中心部に近づくほど、 すべてのものが、はっきりと、わかりやすく、色鮮やかに、 かぐわしく、響き優しく感じられることです。・・・・・ いや、大丈夫です、声がふるえるのは、わしの思い入れです。

  エーと、それはなぜかというと、このコダツノに集うたみなさんの 気持ち、幾多の叡智がこの地にそういう『あともすふぃあ』を 印しているわけです。あ、失礼、atmosphere、まあ気配ですか、 イバラードでは『残留思念』とも言いますね。それがここに 集積している・・・・だいじょうぶ、泣いてるんじゃありません。 しみじみと味わってるんです。

  だから皆さん、小立野大学へ行こうと思ったら、そういう方向へ 足を進めればよろしい。つまりすべてのものが、より意味深く、 より味わい深く、より心に訴える、そういう一画をたどっていけば、 そこに、小立野大学の入り口があります。・・・ふむ、 まあ皆さん、ここへ来ている、と言うことは、そういう感覚は、 持っておられるわけですな。これは、たいへん結構です。 賀すべきこと、と言ってもよろしかろう。いや実に慶事です。

  そしてこの学校の先生諸氏と学生諸君、これはどこにいてもわかります。 まず目が笑っていますな。ものを見るのが嬉しいのです。 だけどどこか、宙空を見て、焦点の合ってないときもあります。 これは、現象を見ずに、心の映像を見とるのですな。専門用語では この像を『そるま』と言います。いや美しいものですぞ。

  私たちが普段見てると思っているものだって、ほんとは 心に映った影なのです。だから心のカメラがよく出来ていれば、 世界はたいへん美しく見える。輝いて見える。見飽きない。 この見方を極めるのが、この小立野大学の、大事な伝統の一つです。 見方と言っても、目だけじゃありませんよ。音も、言葉も、何もかもです。 そこでちょっといい見方に気付いたら、これはみんなに知らせるべきです。 そのために講義室があります。誰もが先生で、みんなが生徒です。

 イバラードならではの現象を、私たちの科学の言葉で解いてみる。 私たちの世界の当たり前で不思議な事に、イバラードの目で気付いてみる。 ほら、エルフのロープというのは、蜘蛛の糸を集めたように、軽くて つややかで、とても強いとJ.R.R.トールキン先生は、 「指輪物語」の中で言っておられますな。これは実は荷造り用の、 あの真珠色に光る紐があるでしょう、あれのことだと、イバラードの 先生などは言いますね。

  こういう、こまかい発見も魅力ですが、大きな全体のものの見方、 これが変わるのも私は好きですね。大陸がもとは実は一つだったり、 人とコオロギの遺伝子だって、大半が同じだったり、この宇宙が ごく小さなゆらぎから始まっていて、まだ見つかっていない物質が、 いっぱいあるはずだったり、こういう、すべてに別の意味が見つかる、 言うでしょう、そら、その、それ、うー、そうそう、 「新しいパラダイムの構築」。考え方の枠組みそのものが新しくなる、 いつもと同じ物がより深い意味を持つ。これは、私たちの心に 希望ときめきをもたらします。尽きせぬ活力を与えてくれます。 そして何より、とても愉快なことなのです。 ・・・・ごめんなさい、ちょっと水を飲みます。

  また、大した発見の宝石がなくても、談話室でお茶でも飲んで とりとめもなくいろんな話をするのも佳いですな。 イバラードでは、ふつうの小石も美しいのです。

 宇宙は、見る者があって初めて存在すると言います。 このイバラードと、私たちのまわりのあらゆるものを、 みんなでよく見て、楽しんで、究めてみようではありませんか。 私たちのこの世界は、、窮めつくせないほど不思議で 信じられないほど素晴らしいと思います。 いやダイジョウブ。この話をすると泣けるだけです。

  以上を挨拶の言葉にいたします。                

2000年 4月佳日 コダツノにて

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